


東京都杉並区出身。慶応義塾大学文学部国文学専攻卒業。大学卒業後、新卒で講談社に入社(営業職採用)。雑誌広告営業、九州地区の書店営業を経験。雑誌広告営業では当時約50誌を誇る講談社の雑誌を電通担当グループにて行う。当時の各雑誌の名物編集長、スター編集者の諸先輩と密なコネクションを構築。
講談社在籍5年目で主婦の友社に編集者として転職。女子高校生向けファッション誌、OL向けファッション誌の2誌で副編集長を歴任する。その後、書籍編集部に異動し、20年間で約300冊の書籍ムックを編集。編集長も歴任し編集者育成にも取り組む。2022年に同社を退職後も現役編集者として活動中。
2023年10月には出版イベント「第6回 種田山頭火賞」(主催:春陽堂書店)の総合プロデュース(受賞者:桃井かおりさん)を手がける。
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出版社でのキャリアは30年
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書籍編集キャリアは約300冊
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高田純次さん、蝶野正洋さん、武藤敬司さん、ジャガー横田さん、ねづっちさんなど著名人の書籍も多数編集
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中谷彰宏さん、内藤誼人さん、小林正観さんなどビジネス・自己啓発で著名な作家の書籍も数多く編集
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健康、美容、料理、ダイエット、トレーニング、占い、スピリチュアル系など、ほぼすべてのジャンルで実績あり
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フジテレビ系連続ドラマの原案本を企画・編集(スポーツドキュメンタリー)
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出版デビュー作となる著者も多数輩出
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電子書籍プロデュースでは続々と出版デビューとなる著者を毎月多数輩出中
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東京MXテレビ、TBSラジオ、TOKYO FM、ラジオ日本、静岡放送、日経産業新聞などメディア出演多数
出版人としては悩みと挫折の連続
私の経歴だけを見ると順風満帆という印象を持つと言われることがあります。
本当はまったく違います。
新卒で講談社に営業職として入社してすぐに「出版業界でずっと生き残るには編集者(コンテンツホルダー)でない」と気づかされました。
仕事のやりがいはあり、出版界を代表する雑誌編集長、スター編集者の先輩たちにもかわいがってもらっていました。
しかし、将来不安は常に抱えていました。

「なんで講談社を辞めるの?」
5年目の時に主婦の友社の編集職の中途採用があり思い切って転職しました。業界トップの講談社から正直なところ格落ち感のある主婦の友社への転職に関係者はそろって「なんで講談社を辞めるの?」と言いました。
待遇面でいえば辞めるという選択肢はありえません。
しかし、躊躇なく転職しました。
キラキラして見えるファッション誌の世界
主婦の友社に転職して女子高校生向けファッション誌がメインの場でした。読モ(読者モデル)をモデルとして起用するなど、当時はアムラーがたくさんいる女子高生ブームの真っ最中。まるで時代の中心にいるかのようなアホな勘違いをしていたのです。
その後、OL向けファッション誌に異動した頃には「自分がやりたい仕事は本の編集だ!」と確信していました。会社に異動願いを出し続けて、運よく異動がかない今の書籍編集者の道が開いたのです。

キラキラの後に利害関係者はほぼ全員いなくなる
芸能事務所、モデル事務所、PR会社など雑誌に載せてほしいから利用しようとすり寄ってくる人がうごめく世界から、自ら望んで書籍の編集部に異動したらどうなったか?
利害だけでつながっていた人々はほぼ全員いなくなりました。
社会とつながっていないような自分の存在意義を懸命に考えていた時代です。

多くの著者との出会い
ほとんどの人が去っていった中で中谷彰宏さんは人間・ミヤガワシュウケイとして接し続けてくれました。後に300冊を数える編集書籍1冊目は中谷さんの女性向けエッセイでした。
1100冊を超える著書がある中谷さんが本づくりの基本をすべて教えてくれたのです。
利害関係だけでない「人と人」のつながりが本の原点
夢中で20年、書籍の編集を続けてみれば数えきれない著者との出会いに恵まれています。各界の著名人や私が編集した本でデビューし、その後に大きく飛躍した著者などとつながって今があります。
それも雑誌の世界から退場したときに味わった「上っ面のつき合いの人は去っていく」という経験を生かして「人と人」とのつき合いを構築できたからです。
本の編集は数カ月の長丁場なので著者と深い関係が構築されます。
著者が「ミヤガワさんとまた本がつくりたい」と思い、読者も喜ぶ本づくりが私の目指す編集者なのです。
